自由にたのしく、じぶんらしく

愛情表現は人それぞれ。

私にとっての、生きること

今年に入って、少し前にも書いたけど、特に思い悩むことのない日々を続けている。

平和なのは良いことだと思うが、こうなってくると「いつ死んでも悔いはないなぁ」と言う気持ちになる。これは、数年前にも思った。

その後、悔いが残りそうな何かがあったのだろうか?具体的に覚えてないけど「いつ死んでも悔いはない」とは言い切れない気持ちだったと思う。

 

いつ死んでも悔いはない日々、と言うのは、ヘタすると「こなし感な日々」になりそうだ、と思ったけど、かといって「何かをやり遂げてやるぜ!」なんて気持ちもないし、それを探すことが必要とも思えない。

食べたいものはある。行きたいところもある。会いたい人もいる。それらを、なぜやりたいのかと言ったら、きっと「感情を感じたい」んだと思う。

嬉しいとか、楽しいとか、美味しいとか、幸せとか。時には、苦しいとか、切ないとか。

なぜ感情を感じたいかと言ったら、「生きてるって感じたい」から?

気持ちを感じたい、だけじゃないのかも。動けるとか、喋れるとか、そういうことも実感したいのかも。あ、生きてるなー。みたいな。

 

たまたま地球と言う星ができて、たまたま生き物が生息できて、たまたま人間と言う生き物に生まれて。その「人間たち」が、だんだんと社会と言う仕組みを作って、仕事だの恋愛だの、行動や感情に名前をつけたりして、生まれては死ぬを繰り返す。

自分を「地球上の生き物」として考えると、面白いよなぁ。何してんだろうなぁ。生まれてきて最後は死ぬ、と言うことが決まっている中で、考えて、感じて、行動して。必死に生きている、と言うことなんだろうか。

 

どう生きていくか、と言うのは、ある意味このブログのテーマ、と言うか、私の人生のテーマなんだと思うけど、地球上の生き物としてはやっぱり、快不快関わらず、いろんな感情を感じること、そして赴くままに行動すること。それに尽きるんだろう。

自分らしさ、は、どんなもんか分からないけど、なんか、そこもこだわる必要もない気がしてきた。

 

私は生きている、存分に生きている。そう思えたら、生まれてきたことに対して満足って思えるような気もする。

 

そして、この類いのことを、恐らく私は年単位でたまに書いている気がする。

なので、前も言ってたよ!だったら、ごめんなさい笑

毎回、新発見のように思ってしまうのだ。

それくらい、視野が狭くなって、遅刻したことをくよくよしたり、するんだろうね笑