(きっと定期的に書いてる内容)
怒られそうな気がする、自由にしちゃいけない気がする。
この気持ちの根深さが、本当に本当に抜けない。
もう私を縛る母親とは離れて暮らして30年近く経つのに、未だにこの意識に囚われる。
(母親にとって)してはいけないことをしたら、傷つくことを言われるから、傷つきたくないと言う理由で渋々言うことを聞いたり、それでもどうしても嫌で親に従わないと、傷つくことを言われてものすごく落ち込んだり。
もう、そんな日々は終わったのに、それでも私はずっと罪悪感に囚われている。
ハノジに有休を取ることを言えない、ハノジが仕事の日じゃないとなかなか自由になれない。
最近は、ハノジは怒ったりしない、と言うことが分かってきたので、予定を入れたりしていて、それを言っても特になにか言われたりはしない。
そう思っても、予定を入れるときは決死の思いだし、それを伝えるのも、まずはカレンダーに書いて間接的に伝え、あ!そういえばね、みたいな感じで頑張って伝えている。
そこでもし、え?って怪訝な顔でもされたら、私は一気に罪悪感に苛まれて逆ギレすると思う。
仕方ないじゃん!その日しかないんだもん!とか。自由にしたらいけないの?!とか。ハノジがそんなつもりじゃなくても、傷つきたくないのと、自分を正当化したい思いに溢れて、ハノジのことを考える余裕をなくすだろう。
結局、私はいつも怯えている。ハノジをずっと怖いと思っていたのは、本当はハノジだから、じゃないことも分かっている。それでも私は、冷静なときは分かっていても、その瞬間、には分からない。
多分怒られる、私が自分で決めたことなんて絶対認めてもらえない。
その確信が抜けなくて、それでも私は自分の意思を通したい思いで、決死の覚悟で言う。
相手は母親じゃないのに。
ハノジに話す前は、悪い妄想ばかりになってしまう。もしこう言われたらこう返そう、もしここまで言われたらもう別れよう、どうして分かってくれないんだろう、なんで自由にしたらダメなんだろう、って、思って憂鬱になっていく。
でも、実際に話すと拍子抜けするくらい怒られたりしない。
ハノジだけじゃない、過去の恋愛でもきっと私はずっとそうだった。だからこそ、癒していきたいと思ってはいる。そうじゃないとまた、私は自分で関係を壊すんだろうなぁ。
しかも、平和になると落ち着かないしな。
こんなに自由にしてるのに、結局自分で不自由にもしてる。
自分を見失いたくないのだけど、罪悪感を感じるくらいなら、不自由にしていた方がラクだったりもして。
そもそも、自由に生きることに罪悪感を感じることが、間違いなんだけどさ。
根深すぎて、なかなか抜けていかない。