自由にたのしく、じぶんらしく

愛情表現は人それぞれ。

大切なこと。私の恐怖心。

何もかもがどうでもよくて、人生で起こることなんて大抵はたいしたことなくて、感じることをやめてしまえば淡々と過ぎていって、命を延ばすために食べて寝て、を繰り返す。

そんなもん。生きるなんてそんなもんなんだ。

 

なんて気持ちに、無性になる時がある。

 

じゃないと、自分の抱える色んな思いに溺れそうになる。

 

疲れたなぁ。そう、私はたぶん、疲れてる。

肉体的にも、気持ち的にも。いや、どっちかというと肉体的な疲れが心にも影響を及ぼしてるのかな。

 

まだ、駆け抜けている最中なので、色んな手続きが終わり切ってない。

4月に入って、初出社が終わり、やっていけそうだな、と感じられるまでは、私は疲れてるんだろう。

 

疲れてると、ろくなことがない。些細なことでネガティブな発想が出てきたり、自分の反応が自分でもおかしいと思うときがある。

よくないな、自然を浴びに行かないと。人ではないものからエネルギーチャージしなくちゃ。

 

昨日は連携していた先の方々が送別会をしてくれて、嬉しかった。

歳を重ねている人たちとの出会いはいいな、みんな「なんとでもなるオーラ」があるし、実際会おうと思いさえすれば別に会えるのだから、寂しい、とかでもない。またね、と手をふって終わった。

 

帰りが遅くなって、駅から歩いて帰る夜。突然、結婚していた頃を思い出した。別居前の最後の方、私が元旦那に怒られる気がして怖くてなかなか家に帰れなかった頃。

私は、ハノジに怒られる気がして仕方ない。

ハノジがLINEを見ないのなんてデフォルトなのに、これから帰ります、のLINEを敢えて見ないんじゃないかとか、LINE送ったけど見てないのはハノジのせいなんだけど、帰りが遅いことを怒ってるんじゃないかとか、私が全く気づいていない何かでハノジを不機嫌にしていて、家に帰ったら青天の霹靂で突然怒られるんじゃないか、とか。

どんどん家に帰るのが怖くなる。

ただいま、とそろそろと玄関を開けても、なにも言われない。

おかえり、なんて言う人じゃないのは分かっていても、怒ってるんじゃないかと思ってしまう。

 

まると住んでいるときは、そんなことはなかった。まぁ、子どもに怯えるなんて、なかなかないかもだけど、返事もあったし、ごめんね、も、ありがとう、も、言葉で即座に反応してくれたから、と言うのもあると思う。私が居るのが当たり前、私が帰ってくるのが当たり前、と言うものを、まるは作ってくれていた。もちろん意識的ではないにしても。

 

自由にしてると怒られる

 

私の歪みも入ってるけど、私の感覚としては、そう。

そして、親にしても元旦那にしてもハノジにしても、そんなつもりはないんだろう。

相手に合わせていないと、私はそこに存在していられない、気がしてしまう。

でも、私は私のやりたいことがあったり、自由にしていたいと思ったりしてしまう。

だから毎回、怒られる覚悟が必要で、怖がりながらやりたいことをやり、怒られなかったら、あーよかった、と胸を撫で下ろす。

怒られたら、即座に態度を改めるか、納得できなかったら、そこから離れる(別れる)しかない。

 

だから家を出て親から離れたし、離婚して旦那と離れた。

でも、私はこれから先もハノジと居たい。

だからと言って、私は私を失くすわけにもいかない。

 

ハノジの気に入る私になれたら、きっと私はもっと怖くなくなる。安心できる。

でも、私の好きなことをどんどん手放さなきゃいけなくなる。

 

どうすればいいかなぁ。

怒られてもないのに、怖くてしんどい。

 

【追記】

いつもの根本さんより

 

こういうことをしたら怒られる、嫌われるといった体験から生まれるもの。

子どもたちは自由なので時に親や周りの人から怒られることをやっちまいます。

「急に道路に飛び出しちゃダメ!」「人を傷つけるような言動をしちゃダメ!」「人に親切にしてもらったらありがとうって言うべき!」「人には敬語で話なさい!」みたいなことも始めは「怒られないために」身に着けることが多いものです。

それがだんだん大人になって理解が進むと「確かにそれは危ないなあ」などと理解が進んでくるものです。

こうして自分の身を守ったり、良好な人間関係を築くために必要な観念というものも存在するわけです。

しかし、その一方で「親の言うことをきかないと怒られる」みたいな体験を繰り返すと、誰かから怒られるんじゃないか?という怖れを胸に抱きながら生きることになります。

その結果「好きなことはやっちゃいけない」「自由な行動は制限されるべき」「期待に応えなければならない」「いい子にしなきゃいけない」等々の自らの自由を束縛する観念も生まれてくるものです。

だから親子関係ってめちゃくちゃ大事なんですよね。

 

「独身時代はけっこう好きにやってたのに、家族を持つようになってから途端にそれができなくなった」というケースも多々存在することです。

育った家庭に不自由さを感じて自立して立派な武闘派として好き放題生きていた女子が、結婚して子どもを産んで家族を作った途端、育った家庭を再現するが如く、自分をがんじがらめに縛っちゃうケースって珍しくないんです。

やはり育った家庭がベースになるので、いざ自分が家庭を持つと実家を再現しちゃうんですね。

それが嫌で結婚できない人も実は少なくないんです。

 

 

やっぱり誰かと暮らすと言うのは、私にとってはとてもチャレンジなんだろうな。

誰かと暮らしたとしても、私が私で在り続けること。

それが、当面のあいだの、私のテーマかもしれない。