自由にたのしく、じぶんらしく

愛情表現は人それぞれ。

恋人とは

年始にいろいろ考えていたことがあって。

恋人に対してって、なんで何もかも求めがちなんだろう、と。

友達や同僚に対しては「深い話をするなら◎◎」「パアッと元気をもらいたいときは✕✕」「話しにくいことでも受け止めてもらいたいときは▼▼」みたいに、大まかな分類がある。(パキッと分かれてる訳じゃないが)

でも、なぜか恋人には全てを求めがち。

◎◎だったら分かってくれるのにな、とか、✕✕とならもっと楽しいのに、とか。

挙げ句の果てには、なんでこの人と付き合ってんだろう、と思ってしまう。

頭では常々分かっているのに、すぐにごちゃ混ぜになるんだけど、恋人に全てを求めてはいけない。

 

今回思っていたのは、長期休暇で一緒に居る時間が長いと不満を抱きがちなので、もっと恋人の「いいところ」に注目しようと思ったんだよね。

それで思ったのが、✕✕な時はハノジ、みたいなことになると、友達と同じではないか?と思って。でもな、なんで友達と同じじゃいけないんだ?とも思い。

恋人とその他との決定的な違いは、その人に触れたいと思うか?だと思う。それを拒否されたら、もう終わるなぁと思うんだよね。(拒否したくなる、も同義)

でも、それ以外に違いなんてあるかなぁ。

 

きっと私は、「ハノジ」に求められることと、「恋人」に求めることが噛み合わないと、モヤモヤするんだと思う。で、恋人にはいろいろ求めてしまうから(冒頭に戻る)だからイライラする。一番近くにいるのに、どうして分かってくれないの?恋人なのに、みたいなことになりがち。

「ハノジに求められること」を私がもっと分かれば、苦しみは減るのかもしれない。

 

だから、「美味しいものを一緒に喜ぶ」「温泉を楽しむ」「深い話を語り合う」「困ったときに相談に乗ってもらう」「私の喜ぶことをしてあげたいと思ってもらう」「私の行きたいところに一緒に出掛けたいと思ってもらう」なんて感じの部分は、ハノジの苦手分野と言うか、そこに喜びや意味を見出だしていないのなら、完全に私のためだけの行動になるから、求めないでいようと思う。友達や同僚に素敵な人がたくさんいるから、そこともっと、今よりも楽しめばいい。ハノジに遠慮せず。

恋人ならこうであるべき!みたいのは、きついよね。恋人だけ特別に望むことが多すぎるのは、なんか変なことなのかも、と思ってきた。

 

私がハノジの好きだと思う部分は、「フットワークの軽さ」「運転がうまい」「笑顔が可愛い」「顔が好き」「家賃がかからない」…なんか、だんだん微妙な理由になってきたけど笑、でも、それでもいいんだと思う。嫌いだったら、一緒にいられないし。

 

ハノジは、ハノジなりのやり方で私を好きでいてくれてるのだと思うし、大切に思ってくれている、のだと思う。多分。

それを私が感じられなくても、もうそれは仕方ないし、私のやり方で愛してよ!と言うのは、多分、逆をされたら私も嫌なので、お互い様かなぁ。

「そうしてあげたい」と言う、慈悲の心みたいのがあれば違うかもしれんけど、無さそうだし。私も微妙だし。笑

 

結局、いつも話してる内容みたいになったけど、今回はポイントとなった言葉がある。(いつもの根本さんですが)

 

恋人がいるから幸せ、というのは「恋人軸(依存)」の状態ですよね?「自分軸」で生きるには「自分の幸せな世界に彼を招待してあげる」という感覚がとっても役立ちます。

 

自分の幸せな世界に彼を招待。

そう、私は私で幸せな世界をまず作ろう。私が満たされる、私の好きな世界。

そこに巻き込むとか強要するのではなく、良かったら一緒にどうですか?くらいのノリで、ハノジも乗ってくれるかもしれない、乗らないかもしれない、でも、どっちだとしても私は幸せ。みたいな、そういうの、だよね?多分。

(ハノジには強要されてる気もするが…拒否権はあるから、私が怯えずに乗らなきゃいい話)

 

ハノジは、「めぐの恋人」をやらなくていい。「ハノジ」で居ればいい。私もそう。「ハノジの彼女」の前に、私は私だ。

 

長くなりましたが笑

今年はこれをポイントに生きていこうと思ってます。(大げさ)

転職も、その一部となるといいな。