自由にたのしく、じぶんらしく

愛情表現は人それぞれ。

元凶

自分が好きになる人には好かれている気がしない、と言うのは、いったいなんなんだろう。

相応しくない、と思ってるのかな。

そんなことが起こるわけがない、と思ってるのかな。

誰も私のことを好きになんてならない、なんてことは思ってなくて、どうしようもないレベルで好きになってしまった人に、私は全面降伏してしまう。

楽しい日々が続いていても、「いつかきっと終わる」「いつかなくなってしまう」そういう気持ちが、どこかにある。

対等に付き合いたい、と思っているものの、でもどこかで拒否してる自分がいる。

相手を「憧れ」の位置から下ろしたくないのは、私かもしれない。

私の位置まで降りてきて、いつも一緒になんでも寄り添ってくれるような人になったら、私はきっと魅力を感じなくなってしまうもんなぁ。

 

好かれている気がしなくて、いつも怯えていたいのは、私が作りだしているのかもしれないな。

やっぱり私は、自分の人生をドラマチックにしたくて、庶民の位置まで降りてこないような、傍若無人な人でいて欲しい、とハノジに思ってるのかもしれない。

 

昔、母親のことで悩んでいる頃、たくさんの本を読んでいて、なるほどと思ったことがある。

ちゃんとした言葉で覚えてはないけど、うちの例えで言うなら、母親の刺激のために、父親はギャンブルしたり無職になったりし、姉は問題を抱える人と結婚したり離婚したりして、私は何かにつけて問題を起こす、みたいな、家族が母親を中心に回っていて、うちは常にトラブルが起きていた。父親のトラブルが収まれば、続けざまに姉、そのあと私、親戚、とかね。

周りが問題児と言うよりも、求められているから起こしてしまう、みたいな。無意識にね。

これが、なんという現象か忘れたし、それが本当にそうなのか?は、分からないけど、本で読む前から私も思っていた。うちの家族って、一人づつ順番に問題が起こって、その都度、母親がキレながらも処理してた。母親も刺激の必要な人だったんだろう、って思う。

 

なんか、よくないなー、って思う。

だって、幸せになりたいし。

もしもハノジが落ち着いたら、私は別れちゃうかもしれない。

でも、別れたいわけじゃない。

だからこそ、この変な状態は何とかしなきゃならない。

私が変わることで、ハノジも、子どもも、落ち着くのかもしれない。

 

周りから刺激をもらうのではなく、私の中にある情熱で、自分を満足させる。

やりたいと思ったことは、やる。

行きたいと思った場所には、行く。

 

相手に飽きて別れるんじゃない。

自分で自分を満たせないから、相手に求めるから、飽きるなんて言葉になるんだ。

相手と別れるときがもしも来たら、それは、相手から刺激を受けれないから、ではなく、もっと違う理由であって欲しい。

 

母親は、なぜ父親と別れないで居るんだろう。

まー、父親は相当な変わり者なので、なかなか飽きることはなかっただろう、と思うけど笑

 

親も死んで、やっぱり一緒にいる人として、相手が必要なのかな。

母親には、異常なガーデニング愛がある。たぶんそこに全てを注力していたんだろうな、いろんなストレスとかね。それがあるから、自分を保ってるんだろうな。そして、なぜガーデニングに目覚めたかと言ったら、父親からもらったバラの鉢植えがスタートらしかった(確か)。子育て疲れだかなんだか忘れたが、花でも育ててみれば、と渡されたらしい。

なんか、今にして思うと、それもどうなの?父よ、と思うけど笑

でも、母親は父親が好きなんだろうな。

だから今も、一緒にいるんだろう。

 

基本、母親のことはとても嫌いな私ですが、私が母親と似ているのは(顔ではない)、嫌でも認めざるを得ない。

それでも、反面教師として子育てはやってきたつもり。これが娘だったら、無理だったかもなぁ。だから、息子で本当によかった。

 

母親は、父親の相当な金額の借金を肩代わりしてきて、ハードワークしてきて、まだ何かと父親一族のしがらみに巻き込まれているけど、それでも、父親と別れるという選択はせず、今はどうだか知らんけど、きっとそれなりに好きなことをして生きてるだろう。

幸せだったのか?と聞いたら、なんて答えるんだろうね。

あなたの背中を追いたくはないけど、もしも父親のことが大好きで一緒にいたのだとしたら、それは、いいな、と思う。

 

来月、行かなきゃなぁ、、引っ越し言わなきゃ。