自由にたのしく、じぶんらしく

愛情表現は人それぞれ。

先は分からん

おなかいっぱいで苦しい…

気になっていたブツを買いに行ってきた。かなり大胆なカットでは?そして美味しかった。

どのくらい買えばいいか分からず、前の人の真似をして、両方200グラムづつ。多かったな…

 

この買い物の帰り道、てくてく歩きながら、引っ越してきて何度も思ってることをまた思う。

「こんな場所で生活する人生になるなんて思ってもみなかったなぁ(悪い意味じゃない)」

「ハノジと出会って本当に私の人生が変わった」

正確に言うと、生きる環境が変わったのだが、環境の変化があまりなかった私にとって、それはやっぱり凄いことなんだろう。だから何度も思うんだろうな。

もっと、いろんな土地に住んでみたかった。そしたら、もっと違う感覚を持ったのかな。

仕事もそう、これからいろいろするのもアリだけど、若い頃にもっとたくさん転職してみたかった。

 

でも、同じ場所に居続けることで、得たものもきっとある。子どもと2人で環境を変えずに生きてきたことは、私が選んだことだ。子どもの環境を、離婚以外で変えたくなかったのだ。

 

先日、友達に会った時に彼女がライブで遠征する話を聞きながら、楽しそうだな、と思いつつ、そう言えば私はもうずっとライブに行ってない、と思う。コロナ前は行ってたけど、コロナ明けも行ってない。あれ?私普段なにしてんだろう?と友達に言ったら、なにしてんの?笑と聞き返された笑

そりゃそうだ、友達は知らんよな。

たいしたことしてないのに、なんか毎日忙しいと言うか…ひとりの時間欲しいってよく思ってるしな…

と思いつつ。でも、飲みに行く回数だって激減してるしなぁ。

やっぱり、ハノジと過ごす時間が大半なんだろう。そしてそこに私が満足感を得ているのだろう。

毎日ハノジが帰ってくるまでには夕飯を作り終えたい、とか、一緒にアニメ見ながらごはん食べたい、とか、その毎日が私の幸せになっていることが、なんだか不思議だよなぁ。いつまで続くんだろう、この幻は。笑

結婚してるときですら、こんな気持ちになってないと思う。もっと遊びたかったと思う。若かったから、と言うのもあるけど。

 

もう、再婚なんて興味ないし、誰かと住むなんて考えてもいなかった私を、突然一緒に住む方向に曲げられ、それに私が仕方なく乗っかった、筈なのに。

人と暮らすことを、楽しんでるんだよな、私。たぶん。

まぁまぁ自由に好きなことしてるけど、一人暮らしに比べたら不自由で、ライブも外食も飲み会も激減して、好きだった仕事まで転職して、それでも私は、幸せだと思っているのって、なんだか凄いことだ。

誰かの人生に乗っかるのも、たまにはいいもんだよね。私は自我が強すぎるから、ハノジくらいのめんどくさいこだわり人間でいいのかもな。

 

革命のファンファーレ読んだ。面白かった。

「頑張れば報われる時代は終わり、変化しなければ生き残れない時代に立ち会っている」

印象に残ったところ。