自由にたのしく、じぶんらしく

愛情表現は人それぞれ。

自由とは

先日図書館で借りた本のひとつ。

タイトルに惹かれて借りたのだけど、「はじめに」から、突然ブッ飛んでて驚く。

 

私たち女は本来精神的な存在であるとともに、性的な存在である。それなのに男の意識を通じて、母(子どもを産ませる対象)と便所(性処理に都合のいい対象)とに引き裂かれてきた。そう、私有財産制下の秩序は、女をそのように抑圧することで保たれてきたのだ

内容はとても興味深いけど、独特の言い回し(ちょっと"外郎売り"みたいなテンポを感じる)が少し読みづらく(わたし的には)、拾いながら読んだ。

てゆーか、「はじめに」を読むだけでもう、かなり満腹。

すごいな、この歳でこのエネルギー。

 

そんな、心に残ったところをかいつまむ。

 

生まれるのも死ぬのも「たまたま」な私たち。ヘナヘナと力がぬけそうになるこの真実。
明日は生きてないかもしれないいのちであれば、今生きているということが総てなんだということです。


生きているものはみな等しく、明日生きているかどうかも分からない。今日生きてる、今生きてるというのが総てです。
私らはみな、「たまたまな自分」を生きてるにすぎない。
いのちが抱えるこの絶対性。

 

「平等」とは私らは等しくみな、「世界で一番大事な自分」を生きているということであり、「自由」とは、「自分以外の何者にもなりたくない」という思いです。
明日は生きてないかもしれないのだから、自分の自由をしっかり握って、この今、息深く、あれを見、これに触れ、丁寧に人と付き合って、二十歳だろうと七十歳だろうと、今生きてる。今日生きているということが総て。

 

少し端折ったところもあるのだけど、深い、そしておもい、到達した感もすごい。

私のブログのタイトルにも通じるところでもあるので、なんか、肝に銘じようと思ったのでした。笑

 

はー、とりあえずもう数日経つと、もう少し落とし込めるかもしれない。