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人としての積み重ね、という話

先日、同僚と話をしていて。

私は前々から「人は年齢じゃない」という話をよくします。
もっと具体的に言うと、人としての成長度合いと生きてきた年数は比例しない、という話です。
私も偉そうなことは言えないけど汗、でも、若くても尊敬できる人ってたくさんいますよね。

人としての成長、って言うと、なんだかすごく上から目線な言葉を発してるなぁと我ながら思いますが笑
なんとなく、このくらいの年齢になったら、こういうことが起きたときに、こんな対応、みたいな漠然としたもの分かるよね。みたいな、世間の共通認識?みたいのって、あるじゃないですか。
ちょっと、マイルドに言ってるつもりだけど、暴力的に聞こえてしまったらすみません。

そのあたりがね、アレ?ってなることも、あったりするじゃないですか。
そういうときに、同僚とそういう話になるんですけど。

年齢で区切ってしまうと、「いい歳してどうかと思う」みたいな話になりがちだけど、生きた年数じゃないと思うんだよね、ほんと。

ひとつ目の考えられることとしては、生きてきて、経験がどれだけあったのか。
この「経験」というのは、そんなに特別なものじゃなくてもいいと思う。

そして2つ目として、その経験に対して、自分事として考えたのか、環境や誰かのせいにしてしまわなかったか?ということ。

経験が何一つない、という人は、さすがに居ないと思うんだよね。
生まれたわけだし、ごはんも食べたことあるだろうし、お風呂も入ったことある、人と話したことも、あると思う。
そういう当たり前のことから始まって、人と喧嘩する、どこかに遊びに行く、仲間と出掛ける計画をたてる、等々。
生きていたら、何かしらの経験はしていると思う。

ただ、人によっては、経験の濃度というか、差はあると思う。
例えば私なら、子持ちだしバツイチだし、恋愛依存だったし、みたいな。

そういう様々な経験のなかで(具体的に言うと人と関わる経験、かも)、自分のこと、相手のこと、何を感じ、相手に何を伝えたか、自分は何を受け取ったか、みたいなことを深く考えるきっかけが、どれだけあったのか。
また、それらについて、誰かと共有したり、話を聞いてもらったり、または話を聞いたり、そういうことはあったのか?

なんか、その辺りだと思うんだよね。
その積み重ねが、人としての積み重ねというか。だから、それは生きてきた年数じゃないというか。

というか、ばかりでスミマセン笑

そうは言ってもね、そうすべき、という話ではなくて。
誰かのせいにしてても別にいいと思うんですよ。それを選んでいるのなら。
ただ、「私はそれを選んでいる」という意識があれば、いいんじゃないかな、と思う。

私は私自身の心地好さで生きているのと、自分自身に興味があるので、いろんな経験や体験を通して、自分が何を思い、どう行動するのかを知ることが好きなんですけど。

でも、経験が多くて、それについて考える機会が多いからと言って、それで世間に当てはまる人間になるわけでもないです、当然だけど笑

世間というよりは、個人の幸せの話だから。
でも、世間はこうだよね、は、意識できるようには、なると思う。

好奇心と、なにかを好きだと思う気持ち、というのは、私はとても大切だなぁと思ってる。

でも、この好奇心のせいでひとりの人と末長く付き合うことができないのだろうか、とも思い、悩む笑

生涯を共にする、ということに私は囚われているんだよなぁ。そこがフラットになったら、もう少し楽になれそうだとは思いつつも。
恋人という存在が自分のとなりにいない、という想像がきっとずっとできない。

誰かと生涯を共にする、と言うのが目下の私の課題で、また、誰かと生涯を共にすることに拘りすぎない、と言うのも、同時に私の課題なんだろうと思う。

こればっかりは、生きていかないと分からないことだよね。
だって、「生涯」だからね笑

今日はいい天気だな~
1時間間違えて家を出てしまい、時間つぶしてます。
今日は、とある集まりがある日で。

眠くなってきちゃった。
もうドライブして帰ってしまいたいな~

てか、帰っちゃおうかな笑