自由にたのしく、じぶんらしく

愛情表現は人それぞれ。

もともと「家庭」や「家族」にいいイメージのない私。結婚生活が続かなかった要因のひとつでもあると思うのだが、ハノジとの生活は今のところ続いている。

誰かと住むとセックスレスになってしまう(私が無理になる)点についても、今のところ大丈夫。

それはなぜなのか?を検証。

 

思い付く要因として。

①結婚をしていない

いつでも終わらせられる、逃げられる、と思えるからいいのかもしれない。

②「ハノジの家」に入ったから

最初は物だらけで嫌だったけど、ここは私の家ではなく「ハノジの家」なんだ、と思うことで心理的な距離ができている。間借り感覚がいいのかも。

③ハノジの態度&性格?

これはまだ半年だから、と言うのもある気がするけど、うまく言葉にできないが「家族扱い」してないと言うか。家族同士ってぞんざいだったりするじゃん、気を遣わないと言うか。ハノジも気遣いなんてしないんだけど、当たり前の存在にまだお互いなってない、みたいな空気感がある。

あとは、ハノジも私同様、家で落ち着くタイプではない、と言うところ。なので、「今日は家にいようよー」みたいなことがあまり起こらない。あるとすれば「頭が痛い」とか「寝てる」とか、どうしようもない理由で家にいる。そのあたりが私の思う「家族」イメージを壊してくれている気もする。

 

まぁまだ半年だからな。結婚生活も、なんだかんだ4年くらいは続いたわけだし…

でも、①②はわりと大きい気がしてる。ハノジの実家は近いせいでいろいろあるけど、私の親と繋がっていないおかげで、私が気が楽なところがある。

あとは、ハノジの家、なのもポイントだな。結婚してるときは「一緒に買ったマンション」だったから、別れたらどうするのか?と言うのもあって、それがすごく縛りに感じてた。

離婚後、別の人と同棲してたときは「私の家」に彼氏が住んだので、出ていってもらわなきゃいけなかったから、それも面倒だった。

でも、今は私は居座ってるだけなので、出ればいいって話。とても単純だし、気が楽だ。

 

なので、今の住まいを「私の家」とはあまり思っていないところが、私が住めている理由、なのかもしれない。

私はとにかく家が嫌いで、実家にいるときもいつも「ここではないどこか」に行きたくて、外ばかり向いてた。どこかに行きたいわけじゃなく、ここでさえなければいい、と言う感じ。

なので、あてもなく放浪(車やチャリや徒歩でうろつく)するのが癖だった。いつもどこかに行きたかったし、それがどこなのか分からなかったし、きっと、「ここ」と言う、固定されたどこかでもないのだと、なんとなく思う。

 

一人暮らしを一年くらいしたけど、その時は「私の家」だった、紛れもなく。

まるがいた時も、大丈夫だったな。私とまるの家だった。

 

まると築いた信頼関係みたいなものを、ハノジと築けたら、居心地のよい「家」を作れるのかな。

でも、ハノジのものが多すぎてキレそうになるから、やっぱり「ハノジの家」だと思ってる方がいいかもしれないな…

 

きっといつかは、1人になる。

ハノジより私の方が、長生きする気がするから笑

だから、そのときまた「私の家」と思えたらいいのかも。

それまでは、ハノジの家に住まわせてもらって、そう思うことで一緒に暮らせそうなら、それが一番だよね。