浴衣女子を見かけると、なんだかいいなぁと思う。もう、着ようとかすら思わないけど(暑いし動きにくい)。
若いときはとにかく見た目から入るので、浴衣も水着も毎年のように買ってた。
「浴衣で彼氏と花火」とか「友達たちと海水浴」「彼氏とプール」というのが、人生の夏でとても大切だった頃もあったな。
まー、私は出産が早いので、そういう期間はたぶん世の中の人たちより少ないのだろうけど。
思えば、子どもと過ごした約20年は私の人生の大半で、初彼氏ができた高校までも約20年なわけで、私が単身(出産前)で恋人と過ごした期間って、実はそんなにないんだなぁ。5年くらい?
子どもが育っても同居している間はやっぱり気になるので自由ではなかったし、本当に「今」が、その5年間の続きみたいな感じがする。
でも、例え少ないとしても、その5年間の経験はやっぱり大きくて、全力で楽しんでいたんだなぁと我ながら思う。
もし、結婚も出産もしていなかったら、私はいつまで飽きずに青春してたんだろうな。30歳くらいで焦ってたのかな。
これから先は、特に目的がない。
楽しく生きる、という漠然としたものはあるけど、何を全うしたら私が満足するのか自分でも分からない。日々を浪費しているなぁ、と超客観する日が増えたな、と思う。
人生は暇つぶし、って何で見たのか忘れたけど、たまに思い出す。暇つぶしかよ、って気持ちになるけど「より良いものにしたい」というのは人間っぽいエゴだよね。
実際のところ、ほとんどのことに意味なんてない。
私がハノジに強く惹かれた理由はいくつかあると思うけど、最近思うのは、私の底付き感もあるのかもしれない、と思う。
自分のこの先の人生を考えて、まぁまだ色々できるとは思うけど、「誰かの人生に巻き込まれる(乗っかる)」ということに、惹かれた(興味を持った)のも、あるかも。後付けな気もするし、無意識な気もするし、その両方な気もするけど。
その時に、私を巻き込めるほどの人でなければ、私は巻き込まれないと思うので、ハノジは無茶苦茶だけどそれがよかったのかも。
目的に向かうのではなく、日々の興味関心に従って生きていれば、その行き着く先が私の人生。
そう思っているけど、日々の刺激が小さいと、とても心が暇になってしまう。
なにか面白いこと始めないとなぁ。