自由にたのしく、じぶんらしく

愛情表現は人それぞれ。

別れないために

傷ついた気持ちがどんどん膨れ上がって、許せない怒りに支配されていたけど、実際のハノジと会うとあまりにも平和な人で、そのギャップで我に返る。

母親とは違うんだ。母親はいつまでも、何度も何度も私の失敗を繰り返し話したり、いかに私がダメな人間かを繰り返し言う人だったけど(だからずっと嫌な気持ちが続く)、ハノジは、瞬間的に怒ることはあっても、それを引きずることはない。

昨日、嫌だけどやってしまっていること、をメモに挙げてみたけど8個くらい。嫌でなくやっていることは3個くらい。そして、嬉しいことも挙げておこうと思って考えたけど、すごく些細なことになってしまうのと、これらって結局ひとつのことに集結するな、と思った。それは、「一緒にいること」。

一緒にいることが、私の嬉しいことなんだなぁ。だから、我慢してまでしてしまうこともあるんだろう。でも、我慢してると結局、一緒にいられなくなる。

少しづつ、嫌だけどやっていること、を手放していけたらいい。やらされてる、と思うから嫌な場合もある。常に嫌なわけじゃなく、今日はしてもいい、と思うときもあるからな。

 

友達には思わないのに、恋人とはこうやって苦しくなるのは、やっぱり距離の近さの問題なのかな。

今回こそは本当に、生涯を共に過ごしていきたいと思ってるから。

別れようかな、ってすぐ思っちゃうし、これまでもすぐ別れてきたけど、私はもうこれ以上恋愛遍歴を続けたくない。

相手がきっかけになっていることはたくさんあるけど、結局は私が勝手に我慢して、私が勝手に限界を超えて、お前と付き合ってなんかいられるか!と逆ギレして別れている気がするから。

話し合いができるような相手じゃないけど(これまでも、今も)、別れるのは本当に簡単だから、ちゃんと私自身がラクになれるようになりたい。

 

そして、私はいつも自分の恐怖のフィルターを通して相手を見てしまうから、ちゃんと相手のことを見ていきたい。怖いときは、自分にしか意識を集中させてないから、なんでこんなこと、どうして私ばっかり、と思ってしまうから、本当に相手が私に強要したのか?と言うのを、ちゃんと見定めていかないと。単なる逆恨みでしかないもんね。

はー、怖いけど、言えるようになっていかないとなぁ。