自由にたのしく、じぶんらしく

愛情表現は人それぞれ。

眠い

あー、たのしかった。今日は演劇サークルの新年会だった。ビールからの焼酎からの梅酒しか飲んでないけど、酔っぱらって眠い。電車で寝そう(いまここ)。

他愛ない話をしつつも、演劇の話もしたし、目指すものの話もしたりして、基本はサークルだから楽しむのが第一なんだけど、みんなでこういうのやりたいよね、みたいな話をするのは楽しい。

 

そこから仕事の話になって、仕事はやっぱりお金のため、みたいな話になり、仕事なんて楽しいが三割あればマシ、と言う意見に反論してしまう。それじゃ頑張れない。

私と同じ意見の人、楽しいが三割くらいに同意する人、で話は分かれたが、もちろんどちらが正しいと言う話ではないのだが、私の理想の働き方の話をしたら「それは甘い!」と言われ、昨日面接を終えた後にハノジに今後の働き方を話していたら「それはワガママだ」と言われたのと、かぶる。

 

ハノジに対しては、そんなことない、と思っていたが、今日も似たようなことを言われて、そんなにみんな仕事って「嫌だけどやらねばならぬもの」っていうポジションなの?と思う。

ハノジが特別とらわれているわけじゃなく、もしかしてマイノリティなのは私の方?

まぁ、マイノリティでもマジョリティでも、どっちでもいいんだけどさ、私はせめて五割くらいは楽しいと思えていないと無理かなぁ。

となりに座っていた子が私にとても同意してくれたので心強かった。

 

演劇以外にもいろんな話をして、40歳くらいからの付き合いなんだけど、この歳からでもこれだけいろんな話を出来る仲間が居るのはいいなあと思う。

みんなでひとつの作品を作り上げる、というのもいい。一人じゃ出来ないもの。やっぱり私は、人となにかをすることが好きだ。

 

ハノジとの日々も好きだけど、やっぱりこうやって外に出て違う人と過ごす自分も好き。

ハノジは、私を必要としてくれている感じはする、でもそれは私を尊重と言うよりかはハノジの玩具的ポジションな感じ。

友達や同僚や仲間は、私を尊重してくれていて、私の意見や生き様や在り方を、必要としてくれている気がする。

なので、ハノジと居るときは、最近はとても気が抜けていて、擬音が多くて、じゃれて遊んでいることが多く、私個人として外に出て居るときは、自分の考えや話をよくする。人と人、として向き合っている感じ。

 

それでいいんだろう。と言うか、今はそれしか出来ない。ハノジとは友達と話すような話は出来ない、でも、私とじゃれあうことが出来るのはハノジしかいない。

帰ったらくっついて寝よう。布団剥がされるけど。そしてワーワー騒ぐと嬉しそうだから、私はこうやってハノジのおもちゃになるんだよなあ。