自由にたのしく、じぶんらしく

愛情表現は人それぞれ。

余裕とは

落ち着いたと思ったら、やっぱりまだ落ち着かない、みたいな日々。

来週友達と会う予定で休みを入れてたんだけど、友達がコロナになってしまい延期になったので、急遽一人タイム発生。

昨日も休みで、のびのびするつもりが子どものことでバタついたので、次こそはのんびりする!

鎌倉に行こうかな、と少しワクワクしてたけど、節約しなきゃな、と言う気持ちになって、今は気持ちが萎み中。どうしようかなあ。私はそのとき、どんなテンションなんだろう。

 

人をコントロールしたくない、と言う気持ちが強くて、どこまでがコントロールになるんだろう?と分からなくなってる。

提案は、する。私の最善を伝える。でも、もちろん選ぶのは当人。

相手の最善を知りたいし、そういう考え方なんだな、と言うのを理解して、私もそれに無理に合わせるわけではなく、真ん中あたりを探りたい。

そう思うのは、理想すぎるんだろうか。

子どもが自立していけるのか、ハノジが私を受け入れるために環境を整えてくれるのか、そのあたりがもやついてイラついて不安になるのは、私の思いどおりにコトが進まないから?私ならもっとこうしてるのに!と言う傲慢な気持ちから?時間かけていいよ、信じてるよ、待ってるよ、って思える私で居たいのに、だからこそ、あまり口出ししないよう心がけてるのに、モヤモヤが溜まり続ける。

人には人のテンポがあるし、もっとゆったり構えていたいのになぁ、と思って、自分に余裕を持つために仕事を休んだり、好きなものを食べたりして過ごす。けど。

思いどおりにならないのが人生。思いどおりにならないからこそ、面白いのが人生。

結論としてはそうなるのを分かっていても、渦中に居る時はやっぱり余裕ないね。

余裕なくなってんなぁ、たかだか人生の一部分なのに、壮大に悩みすぎ。と、自分を笑うけど、こうやって考えてると、根底にある気持ちに気づく。(こんなことしてるのバレたらお母さんに怒られる)って、私はやっぱり思ってる。何をしても自由なのに。自分で責任取れる範囲で動いてるのに。

そして、子どもにそんな気持ちを持たせたくない、と思うあまり、私は子どもに対して色々言えなくなる。

自分に、親の影響を感じるたびに、親としての自分の行動に悩む。

 

友人の親がたまたま立て続けに、2人亡くなった(2人の友達のそれぞれの親)。

そういう年齢になってきてるんだろうな、と言うのと、親が亡くなることは私にとって解放のイメージなので、不謹慎だけどその時が来るのを待ってしまう。

 

余裕のある人間になりたい。

縛られたくない。私の思考は私が決めたい。今は誰かに直接言われてるわけじゃないから、私の中にある、私が勝手に自分に植え付けたものに苦しんでいるだけなんだ。

 

今日は夜ひとりでのんびりしよう。