自由にたのしく、じぶんらしく。

恋愛と美容とおいしいもの。

恋人の必要性

誰かと付き合うということ
そこに意味を求めはじめると、よくわからなくなる。

どちらかと言うと、効果とか意味とかそういう観点で考えるものじゃなくて
そうしたいとか、心地いいとか、感覚的なものだから
理由を突き詰めること自体が違うような気がする。

でも、なぜ、を思い始めると
そこに行き着いてしまう。
それは、好きと言う漠然とした気持ちが失われると、そうなるのかなぁ、なんて思ったり。

付き合うと言うのは相手がいるわけで、相手のことも考えはするものの
でもな、結局のところ自分がどうしたいか、が基準にはなってるんだろう。

私は、なぜ恋人が必要なんだろう。

昔は、「寂しいから」が圧倒的理由だったと思う。
一人は寂しい。誰かと居たい。誰かの特別になりたい。
誰にも求められないのは嫌だし、好きだといってくれる人がいることで安心したい。

だから、依存的だったし必死だったと思う。
恋人を失うと言うことは、私のことを特別に求め続けてくれる人がいなくなる、ということだったから
恋人が居る、と言うことが私の存在意義だったのかもしれない。

でも、時を経て、いろんな経験をして、いろんな人と出会って
私は変わってきたと思う。子育てをしていたことも大きいのかな。

寂しいから、ではないと思う。今は。
ただ、恋人がいない、という状態に慣れなくて不安定を感じることはあったし
実際、恋人が途切れると不安になった。
私のことを第一優先で考える人がいない、ということに不安を覚えるのだと思う。

私にとって、親はそういう存在ではない。
むしろ、親にそう思われてしまったら怖くて仕方ない。
私を優先する親というのは、私のことを完全にコントロール下に置こうとするイメージしかないから。

なので、自分の思い通りにするために私のことを特別に思うのではなく
私の存在を私の物にしたままでも許してくれて(認めてくれて)、それでも好きでいてくれる人。

きっと、そういう人に出会いたいんだろうと思う。

でも、昨今のペット現象。
私の感情を相手にコントロールされることはないから、そこは問題ないけど
ある意味、世話をされるというのは支配下に置かれていることでもある。
私は誰かの「もの」になることで、ある意味安心するんだろう。
でも、我が強いので相手に寄り添うようなことはできない。

だから、今みたいな恋愛スタイルになっているのだと思う。
そして、相手を好きと言う気持ちよりも、その環境を望む意識が強いのかもしれない。
それが私の人生を安定させるから、なのかなぁ。

そう思うと、これは恋愛ではない気がする。
もちろん結婚でもないが、新たな生活スタイルと定義するならば結婚に近いんだろう。

今の、心は自由なペットスタイル恋愛は、面倒見てくれれば誰でもいいわけではなく
そこにセックスが加わるため、私が触れたい・触れられても平気、というハードルがある。
ここが最大重要ポイントで、そこを無くせないということでは、やっぱ恋愛なのかも。

私は結構ベタベタするタイプなので(でも、されるのは拒否したりする←)
まとわりつきたくなる、とか、ムダにハグしたくなるとか
私にその感覚を呼び起こしてくれる人でなければ無理で。
それがある意味、「好き」ってことになるのかなぁ。

なんにせよ、矛盾の多い私なので
そこをひっくるめて「優しい」人でなければ難しいんだろうな。
この優しさって言うのは、感情に対するこだわりがないというか、鈍感というか
そういう人がいいのかもしれない。
だから、優しいと形容するのが正しいのかは分からないけど。
分かってない、の方が近いかもしれない。
知らないからこそ、そこを突き詰めてこないから結果的に私にとって優しい、みたいな感じ。

鋭い友人は多いけど、恋人は鈍いくらいがちょうどいいのかもしれないなぁ。
そんな気がする。