自由にたのしく、じぶんらしく。

恋愛と美容とおいしいもの。

自己中の極み

色んなお店の、美味しそうな食べ物を見てると
早く友達とごはん行きたいなー、と思って
寂しくなる。

コロナだから仕方ないとはいえ
メニュー見ながら、これ食べたいね!美味しそう!とか言いながら
ビールで乾杯して、近況を話す。

そんな時間が、私には本当に大切だったんだ。

同僚たちとは、ごはんも飲みも行くけど
友達たちは危機管理をちゃんとしなきゃだったりして
むやみに外食に誘えない。
それは別に誰のせいでもない、だからただ悲しい。

子どもを産んで半年の友達のとこも行けてない。
そりゃ行けないよな、もし私がコロナだったら困るし。
コロナじゃなかったら、ふにゃふにゃの赤ちゃんを抱っこしていただろうになあ。

それなりに楽しく過ごしてるけど
戻らない日常もやっぱりあって、それに気づいたとき寂しくなる。

私は元々、人と関わることが好きだから
どんなことをするんでも、そこには常に人ありきで
「誰かと」するから、私にとって意味や喜びがあった。

寝るのも、食べるのも、お風呂も歯磨きも何でもひとりでするし、できる。

でも、誰かと寝たいし、誰かと食べたいし
毎日じゃ疲れるけど
お風呂も歯磨きも、誰かとしたら楽しいと思う。

私の友達で、気持ちの共有をすることに重きを置いている子がいる。
共感が大切らしい。

私は、映画も服選びも一人がいいな、とそのとき答えた気がするけど
別に複数でもふたりでも、楽しいよなぁ。よく考えたら。

なんか、でも、友達とは違う感覚なんだよなぁと思って考えると
たぶん私は、相手がどう感じているか、に、そこまで重点がないのだと思う。
「私が」誰かにいて欲しいときに、いてほしい。
友達の場合は、お互いが一緒にいたいと思って、一緒にいることに幸せを感じてほしい、な気がする。

私は結局、自己中の極みなんだよなあ笑
自覚あるけども、、

でも、好きな人(恋人と言うよりも、もっと広い意味で)と一緒に居たいのだ
だから、私は今あなたを望む、と言う気持ちは常に強いのだと思う
一歩引いた優しい歩み寄り、と言うよりも
一緒に行こうぜ、と腕を引っ張る系なんだよね。

まー、だから幹事したり、人を誘ったりもよくするんだとは思うけど…
そして、世の中(と言うか、私の周り?)は優しい人が多いので
付き合ってくれるんだよなぁ。
ありがたい。
ありがとう。

寂しがり屋だよね、と言われることがある。
あんまりそれは考えなかったけど(昔は超依存的だったので、依存を寂しがりと表現していいなら、昔はそう)
誰かにいてほしいとか、誰かとなにかをしたい、のは
寂しいからなのか?と思うと、ちょっと疑問符かも。

うーん、でも、この感情も寂しいと呼ぶのかな?
あ、三行目で寂しいって書いてたな笑

寂しい、もあるけど、物足りない、みたいな気持ちも強い。
私が出来上がってない気がすると言うか。
みんながいるから、私と言う存在が完成してる気がするんだよね。
今、会えない人がいたり、できないことがあったりして
すごく欠落した気分。

別に、息を吸って省エネモードで命を長らえることはできるし
それなりにすることもあるから、生きてる感じするけど
やりたい!と思ったことをすぐに行動に移せなかったり(コロナ前はできたのに)
楽しい!と思うことも、それに比例して減ってしまったから、私の生きる原動力の部分が、ほんとに省エネ。

あー、私の生きる原動力なんだ。
誰かと生きること、が。

コロナでできないことが増えちゃったから
できることのなかで、それを積み上げていかなきゃいけないな、と思うけど
今までになかったことだから、糸口が見つからなくて途方にくれる。

コロナ前に、メガネに会えてよかったな。
恋人が居ないまま、コロナになっていたら、私はどうなっていただろう。

メガネに、飲み行きたいって言ったら
いろいろ考えてくれた。
でも、結局お互い仕事で時間会わせられないから
いつもの不倫みたいなデートをすることに笑

でも、メガネはいつも、私に会えたらそれだけでいい、とテンプレのように言う。
テンプレのようだ、と思いながらも、そのテンプレに安心もする。
お互い、きちんと働いている、と言う証拠だからな。
なんで休み取れないのー!と駄々をこねる10代ではないのだ。

今日はだらりと過ごそう。